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ラーメンでブラジルに恩返し ― 伊藤武さん

2002年8月30日
サンパウロ市在住 美代賢志

 


 伊藤武さんは2000年、ラーメンと餃子の専門店「あすか」をサンパウロ市リベルダーデ区に開業した。ブラジルでは数少ない本格的なラーメンの店として、自家製の面とスープを提供している。味のほうも、「日本と変わらぬ味」と、日本人や日系人のみならず、ブラジル人にも大評判である。そして気安い店の雰囲気は、女性客も多い。その伊藤さんがもともと、進出企業の社長さんだったと聞いたら? しかも技術畑の人であり、仕事では包丁とは無縁だった。伊藤さんがブラジルに来たのは1975年で、当初は5年の気持ちだったという。ところが気がつけば、華麗な転身で永住。その伊藤さんに、ブラジルの生活を語ってもらった。

伊藤武さん(右)と春子さん

美代 ブラジルへ来られたのは?

伊藤 1975年です。あの頃のブラジルは落ち着いて、気質もやさしく、今と正反対でしたねえ。本当に良い国だと思いました。それ以前の73年に一度、4ヵ月ほどサンパウロを中心に進出のための下調べできましたけれども。


美代 では、進出と同時に来られた?

伊藤 そうです。進出当時のメンバーの一員ですね。


美代 結局、その会社であるブラジル横河電機社長になられるわけですが、一転、ラーメン屋を開業。このきっかけといいますか、決め手はどのようなことだったのでしょう。

伊藤 当時57歳で、将来何かやるなら若いほうがいいということで決意しました。(ラーメンは)好きで週末などやっていましたから。そして、やるなら何か地域社会のお役に立ちたい。今まで、血なまぐさい中に生きてきましたからね(笑い)。ならラーメンがないから、日本と同じラーメンを出せば喜んでいただけるのではないかと思ったのです。


美代 奥様、春子さんの反応はどうだったのでしょう。

伊藤 「あなたが好きなら、やったらどうですか」と言われましたね。94年に脳血栓で倒れて(一時的に)歩けなくなったり、97年には頚椎の手術で左腕がしびれっぱなしということがありましたから。今の人生は神様からいただいたもの、だからお世話になった人にお礼、恩返しをしたいという気持ちです。


美代 ブラジルに永住を決意されたのは何時頃でしょう。

伊藤 着いたすぐ、その年ぐらいからですよ。翌76年、本社から現地視察ということで人事の方が来られまして「どうだ」と聞くんです。それで、「大好きですよ。5年と言わずに、私に関しては交代は考えなくても結構です」と言ったんですね。その人事のかたが後の本社社長。まさか言葉を変えるわけにもいきませんしね(笑い)。ブラジルは気候だけでなく、人の心も本当に温かく良い国民性を持っています。とくに昔は、町を歩いていて怖いなどと感じたことがありませんでしたよ。


美代 ラーメンのほうは開業前、かなりの腕前だったのでしょうか。「おいしい」と言われて「それなら」という感じだったのでしょうか。

伊藤 プロになる前は、一杯としておいしいラーメンはできませんでしたね。それで、素人の手探りじゃだめだと言うことになり、日本で修行するために退職しました。あの時、一杯でもおいしいのができていたら、違った道になっていたかもしれませんね。修行は3ヶ月でしたが、厳しくもあり温かくもありました。


美代 自前のやり方と違っていたというのは、どういった部分でしょうか。

伊藤 もともと私は電子工学のほうですから、全く畑違いの分野に入ったことになります。どこというのは…。ただ、プロに教えられると、なるほどという部分は多かったですよ。麺、スープ、具、すべてにおいてプロは違いますね。それに「どうやっておいしいものを提供するか」というのが根底にあります。そこからすべてがスタートするわけです。ですから、「おまえ、そういうことをして、客が喜ぶと思うか?」と、よく言われました。


美代 日本の味を出すために、どのような点に苦労されましたか?

伊藤 麺をとっても、粉がないんです。足で歩いて探すしかない。製粉業者を訪ね、日本から持ってきたサンプルを分析してもらい、これに類似した粉があるか聞きました。その粉をいただいて、自分で作って口で確かめます。7、8件、まわりましたか。現在はその中から選んだ数種類の粉を、ブレンドして使っています。それに輸入食材が多いというのもありますね。例えばメンマ。こちらには柔らかい、煮ると美味しい竹の子があります。だけどラーメンに合う歯ごたえじゃないわけです。結局は中国産を輸入して使っています。輸入品は、為替切り下げによるコスト高という問題がつきまといますが、簡単にラーメン価格に転嫁するわけにも行かず頭の痛いところです。メンマだけでこれだけの苦労がありますから(笑い)。とは言えいずれも、ほかには替えられない物ばかりでしょう。たかがラーメンとは言え、作るほうは大変なんですよ。

ラーメンを作るときの目は真剣そのもの

美代 お店は女性客が多いようですが。

伊藤 女性ひとりでも気軽に入れるお店というのが、私の考えでした。私の考えを大工さんに伝え、図面に起こしたものを(日本の)親方に見てもらいました。このやり取りで、お店のデザインが出来あがったのです。ですからベースは私のアイデアとしても、最終的にはブラジルと日本(親方)の合作ということになります。


美代 これまでにブラジル生活されて、印象に残ったことにどのようなものがありますか?

伊藤 ブラジルとは直接関係ないかも知れませんが、94年に脳血栓で倒れたとき、検査機器の都合から救急車でいろいろな病院に移されました。その時、昨日まで見ず知らずの人が、本当に大切に世話してくれるのですね。動けない体で救急車に横たわり、「世の中、みんなに助けられて生きているんだなぁ」というのを感じましたね。

 忙しく働いておられる合間に写真撮影をお願いすると、「じゃ、おかあちゃんと一緒に」と微笑んだ伊藤さんの目が、お店の雰囲気を物語っているようでした。ラーメンを食べてホッとする、この雰囲気にもつながる温かさが、その味と共に同店人気の秘密。味は「しょうゆ」に「塩」、「みそ」、「とんこつ」と揃っています。それぞれにネギとモヤシ、チャーシューのオプションも。自家製餃子も2種類あり、こちらも人気です。

清潔感にあふれて和やかな雰囲気で、女性やブラジル人も多い

あすか(ASKA)
営業日:火曜から日曜(午前11時から午後2時、午後6時から同10時まで。祝祭日も平常どおり)
住所:Rua Garvão Bueno, 466 – Liberdade – São Paulo – SP
              サンパウロ市リベルダーデ区ガルボンブエノ街466番
電話:(11) 3277 – 9682
駐車場:同街538番

リベルダーデの日本食料理店

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