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「女性自身」の話 (その3)
2002年5月8日
サンパウロ市在住 美代賢志

 宿泊するホテルの見通しもないまま、夜が暮れた。

 が、会議の席で偶然にも、私はアラーに救われた。アラーの預言者は、インターナショナル・プレス(IPC)のエリオ記者。彼自身は非日系だが、奥さんが日系。で、日本文化も大好きなブラジル人である。実は、大きな取材の場合、私はブラジル人(ポルトガル語系)の記者と仲良くなることが多い。理由は、彼らとは利害が一致するからである。日本語とポルトガル語、お互いの利点を生かして取材したほうが効率が良い。唯一、写真が問題である。特ダネが撮影できないことになる。ところが、ブラジル人記者は絶対にカメラを手にしないのだ。「僕は記者だから」というのが、その理由。という訳で、彼らと行動を共にしても、マイナス面は何にもないのであった。

「おお、久しぶり。ねぇねぇ、今、どこに泊まってるの?」

「それが…かくかくしかじか…」

「エェー! 僕のホテルは郊外だったから取材に不向きで頭に来てたけど、まだましだったか。じゃ、僕の部屋で一緒に寝れば?」

 ということで、窮地をしのいだ。が、そこには、押し寄せる宵闇より深い神の深慮があったのであった…。

 ブラジリアの郊外(衛星都市)のホテルに着いたときは、夜もかなり遅かったと思う。

 最初こそ喜んだものの、ホテルに向かう車の中で考えると、男2人がシングルの部屋に入ってゆくというのは、明らかに変である。急に不安になってきた。まあ、部屋が空いていればそちらに移れば良いか、と気を取り直してロビーに入ると…。私がフロントに話しかけようとするのをエリオ記者は制しながら、キーを取るなり一緒に来いという。

 (…絶対、ホモに間違えられとるでえ)と思ったが、それよりも、もっと恐ろしい出来事が待っていた。

 翌朝は、何食わぬ顔でエリオ記者と一緒に朝食を食べた。ブラジルのホテルは、宿泊料に朝食が含まれている。であるから食堂の入り口で、部屋のキーを提示するのである。部屋番号は明らかにシングル、なのだけどホテルのボーイは、何も言わなかった。もう、ホテル公認の連れ込みホモとなったのであろうか。まぁ、夜の明けた今となってはそれも許せる。前夜に起こった悲劇からすれば…。

 その晩、とりあえず彼が先にシャワーを浴び、私が続いた。エリオ記者はいかにもブラジル人らしく、石鹸やシャンプーを持参していた。自由に使ってくれとまで、言ってくれたのである。が、何より私がうれしかったのは、バスタブ。

「久しぶりの風呂やぁ!」

 と、子供のように喜んだところまでは良かった。ゆっくりお湯につかった後は、洗顔用タオルで体を拭いて、パンツをはいた。後は寝るだけ。もちろん床にである。エリオ記者は寛容にも、僕が床で寝るからあなたがベッドで寝てくれと言ってくれたが、辞退してシーツをもらい、床に寝た。そこまでも良かった。

 そして夜半、私の大事なところに妙な感触があって目が覚めたのである。

 床のカーペットにダニがいたのか、シャンプーや石鹸が肌に合わなかったのか、はたまたシーツか。大事なところがメチャクチャに痒いのである。

 翌朝、腫れていた。…アラーの罰であろうか。

 Incha lá

 次の夜は何とかホテルに泊まった。その上、「社長と話したら、後日、清算すると言っていた」と嘘までこいて通信員のおじさんにホテル代を払わせ、取材を続行。リオでは、競合他紙の通信員や他紙のOBまで動員しつつ、無事に取材を終えた。そしてリオを観光するヒマもなく、サンパウロへ。帰宅時点で手元に残った金は、50レアルもなかった。ビンボーの悲しさ、空港から自宅までは、大量の機材を担いで路線バスと徒歩であった。こうして日本へ送った未現像フィルムは約20本。

 後日、掲載誌が送られてくる。

 その雑誌は皮肉にも、週刊「女性自身」であった。


これが女性自身!
懐かしい話題が…な訳はない。
当時、日本を離れて1年弱である。


そしてこれが、掲載された写真
カメラを構えるお姿は珍しい(と、宮内庁)


後ろにポン・デ・アスーカルが見える。もちろんココは、あのキリスト像前。

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