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邦字新聞応援歌 奇人編
2002年7月8日
サンパウロ市在住 美代賢志

 ブラジルには、現地の日本語新聞が2社ある。第2次大戦中の発禁・弾圧時代が終わりを告げると同時に誕生した「サンパウロ新聞」と、これに1年遅れで登場したパウリスタ新聞と同社から派生した日伯毎日新聞が母体となって90年代後半に誕生した「ニッケイ新聞」である。これらは、1世を中心としたポルトガル語に不自由する世代にとって、頼もしい情報源であった。私が94年に移住した当時ですら、日本からの情報源は短波放送か衛星版でニューヨークから届けられる日本の新聞だけという状態だった。当然、インターネットやNHKの衛星放送などは夢の夢。そんな時代と今では、1世を取り巻く環境もずいぶん変化した。そして何より、その1世が高齢化して減少を続けている現在、新聞社の経営はますます圧迫されている。

 ということで、新聞の紙面にも活気がない。というか、新しい取り組みはいろいろあって、それなりに苦労がしのばれる紙面ではある。

 また人材難、という言葉も耳にする。記者のなり手がいないとか、紙面を日本語コンピュータで製作する人がいないとかである。何しろ安月給だから仕方がない。そういえば、奇想天外な人物も、すっかりいなくなった気もする。

 今では軽いノリの文章ばかり書いているため、「ジャーナリスト失格」だの「ウチのOBを名乗るな」とか冗談混じりに言われてしまう私であるが、この部分の才能を最初に開拓してくれたのはパウリスタ新聞時代、私の上司となったTさんであった。

 当時も今も、私のような若者(?)は記者の仕事に携わり続けるのが普通であるのに、この性格が幸いしてか災いしてか、記者を2年務めたあと、翻訳部に異動させられたのであった。その翻訳部を、過去10年以上にわたって切り盛りしてきたのがTさんだった。そのTさんのセンスは、痩せっぱちのマッド・サイエンティスト的風貌もあって「ドクター・ストレンジ・ラヴ」なのである。

 特攻隊の死に損ないだっただの、連合軍の通訳を務めただの、嘘のような嘘や本当のような本当の話を、機嫌が良いときは周囲が驚くような大きな声で、オペラを歌いながら披露するのである。当時、この奇人との共同作業に耐えられる人は、たぶん私をおいて他にいなかったであろう。

「美代君、アベサダって知ってるかね?」

「大使、ですか?」

「いや、アンバサダーじゃなくて阿部定。昔ねぇ、女性が男性のチ○ボコ切っちゃう事件があってねぇ…(天井をしばらく凝視)」

「あ、それなら聞いたことはありますが…」

「愛人と口論でチ○ボコ切られる―ブラジル版阿部定事件という見出しで、(翻訳を)やってみないか?」

「内容はともかく、その見出しはちょっとヤバくないですか」

「そうかな」

 と連日のように朝っぱらから、こんな会話であった。もちろん当時の私は、ポルトガル語の読解能力などほとんどなく、Tさんが概要を素早く翻訳してくれるのである。ところが、それにも欠点はあった。Tさんの話をメモしてゆくと、「それはほら、あれだよ」とか「その意味はあれだな、ほら、何だよ」みたいな表現がポンポン飛び出すのである。かなりの部分が意味不明。結局、メモを再構成して面白おかしく書くことになる。しかしこれが幸いして、Tさんと私のコンビで作り出した記事は、嘘はないものの翻訳風でもなく、「読み物」的に面白くて評判であった。

 その好反応に気を良くした2人は、記事選びのセンスをどんどんエスカレートさせてゆく。ウエスタンさながらの銃撃戦やらオドロオドロしい黒魔術などを連日のように報じたのであった。もちろん、大見出しの記事だけは政治と経済を扱うという配慮は怠らなかったのではあるが…。それにしても、この時期のパウリスタ新聞を唯一の情報源にしていた人なら、ブラジルをまるで無法地帯の魔境のように思ったかもしれない。このコンビはニッケイ新聞の誕生と共にTさんが独立、退社されたことで解消してしまった。

 現在の日本語新聞は、このTさんのようなセンスもった人を雇用して活かすほどの編集の余裕がなくなってしまった。先日、某新聞社の営業部の方と話をしたとき、「進出企業向けの経済紙的な方向性を模索している」という話が飛び出したので驚いた。すでにいくつかの専門会社が先行する世界に、大所帯で参入できるものだろうか。もう一方の競合紙も、ブラジルに来て日の浅い日本人がブラジル生活を楽しめるように、翻訳記事の方向が移ってきている。が、そうした情報を必要とする駐在員と、そのような情報をあまり必要としない移民1世の購読割合はどうなっているのであろうか。恐らく読者は圧倒的に1世が多いだろうから、ちょっとチグハグな気がしないでもない。どちらの会社も、「駐在員はドル族」という、目先のリンゴにとらわれているのであろうか。

 ポルトガル語ページの割合を増やして日系ブラジル人の読者層を開拓するという意見がよく聞かれたが、この計画は2紙とも頓挫したようである。日本語新聞に将来性はないのであろうか。私は、将来性はあると思う。しかし各紙の人と話していると、彼らはいずれも「将来性はない」と言うのである。もちろん、具体的な利益率や負債額などは彼らも私も知らない。判断の元になるデータはほとんど同じだというのに。だからそんなに悲観するのなら、むしろTさんのような奇人を編集者に迎えて、桜のようにパッと咲いて後は散るという方向に、無責任な傍観者としては期待してしまう。花も咲かずに枯れるよりはましだから。もちろん、花を咲かせて散らないに越したことはない。

 パウリスタ時代のTさんとのコンビだって、「どうせ向こう、5年か10年代だよ」と、Tさんが言ったのがきっかけである。「それなら、現在の読者を対象にしたまま、思いっきりやりたい放題やりましょうよ」と、2人の意見が一致したのである。

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