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すっかりブラジル人感覚
2002年7月19日
サンパウロ市在住 美代賢志

 日本からブラジルへ来られるという読者から、治安に関する質問を受けた。そういえばこの点、私はすっかりブラジル人になっていることに気づいた。そんなことは、特別に意識しないで過ごすようになっていた。

 私自身、強盗のような危険な目にあったことはなくて、せいぜいトロンバと呼ばれる少年強盗である。最初は、背の高い黒人2人と白人1人の3人組であった。(ちなみにサンパウロにおける犯罪と人種の関係では、統計上、白人のほうが割合としては多いです)

 狭い道で、その1人に道をふさがれた。見上げるような背丈の黒人である。というか、170cmすらない私の身長が低いのであるが…。その彼がピョンピョン飛び跳ねながら、何だか陽気に叫んでいる。どうも私の後ろの2人をアジっているようだ。

「なんやこいつ、邪魔やのう」

 そう思って右によけると、こちらの前に来る。で、左によけるとまた前に来る。3度目に、胸ぐらをつかんで後ろに放り投げた。「いくら冗談にしても、限度っちゅうもんがあるわい」。そう言えば、なんか叫んでいたなぁ…。そう思いながらアパートに戻り、辞書を開いた。その言葉はなんと、dinheiro=お金。ふざけているだけと思っていた少年3人組は、実はトロンバであった。当時は、そんな単語すら知らぬ青二才で、ブラジル人っちゅうのは人懐っこいなぁ…なんて考えていたのだった。ほかにも何度か、こうして取り囲まれたことがある。が、幸い、金銭的にも肉体的にも、今のところ被害はない。

 サンパウロ市南部に、サント・アマーロという大きな地区がある。別名、巨大なファヴェーラ(貧民街)とも呼ばれる。そこにはまあ、普通の場所といえば普通の場所ではある。けれどもその中には、すれ違うのに苦労するような細い道が入り組んだ地域も存在する。パッキリとアイロンをあてたシャツ、小型カメラの入ったウエストバッグは、明らかに不釣合いな気がしたのではあるが…。地域住民の皆様の視線をバシバシ浴びながら(と、これは自意識過剰であっただけかも知れないが)、狭い道を友人の家へと向かった。実はそこに住む友人の、結婚披露パーティーだったのである。この訪問の最初こそ心臓がバクバクしたが、すぐに慣れてしまった。実際、その後も訪問しているが、大丈夫である。単にラッキーなのであろうか? ちなみにこの近所にはたまに、盗んできた車が乗り捨てられ、放置されていることがある。私は、今ではその近隣の児童・幼児の人気者で、たまに遊びに行くと決まって、ちびっこから、「一緒に散歩しよう」だの肩車してくれだのとせがまれてしまう。

 その一角にあるバールで、その友人にビールを飲もうと誘われたことがあった。そこでたまたま、テーブルにいたモレーノ(混血男性)と話が弾んだ。貫禄のある、ちょっと筋肉質の青年、というか年は20前後であろうか。日本人の感覚で言えば、20代後半という風貌。

 その彼が帰り際、「さて…」なんて言いながらテーブルクロスの下からリボルバーを取り出した。口径がかなり大きい。場末のバールであったし、その小汚いテーブルクロスが歪んでいても、まったく気にしなかった。が、そこにそんなモノがあったとは…。

「本物? 触っていい?」

 そう聞くと彼は座りなおし、銃弾を取り出して手渡してくれた。ピカピカで、ずっしり重かった。そこでまた、治安の話に花が咲いたのである。その頃、何度か取り囲まれたりすることがあったので、そんな話をした。「リベルダーデのあの道のところ」なんて説明すると、セントロ(中心街)やその周辺とも言えるリベルダーデはよく遊びに行くそうで、ずいぶん詳しい。

 ひと通りの話が終わって彼は立ち上がり、握手をしながら

「あの道ね。言っとくよ」

 と言って、立ち去ったのであった。

「誰に? 何を??」

 このモレーノは私服警官だったのだろうか。それとも強盗一味か。単にからかわれただけかも知れない。今もって謎である。

 写真は、銀行強盗(未遂)団を捕らえた時の様子。車内に残された強盗団のナップザックから、武器がわんさか出てきた。ちなみに右手の、ゴルゴ13が使うような自動小銃も犯人一味のものである。私が駆けつけた時、犯人はこれをパトカーに向かって撃ちまくり、銃弾が切れたところであった。

拳銃がザクザク

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