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誘拐犯を追え! デカセギ失踪顛末記
2002年8月1日
サンパウロ市在住 美代賢志

 日本語が話せないブラジル人が盛んに日本へ行くようになった頃、当時働いていた日本語新聞のポルトガル語編集部に1人のブラジル人が駆け込んできた。「日本と連絡がとりたいが、日本語が話せない。助けてくれ」という。

 身なりの良い、ちょっと繊細そうなその人の話に、私は燃えた。

「デカセギに行っている妻が、イラン人のグループに拉致されてしまったんです」

 と、その人は説明し始めた。そしてカバンから、数枚の写真を出すのだった。もちろんこれは、もしもの時に大々的に報道するためである。訪日前の記念に写したという写真には誘拐された妻と、ブラジルに残った彼と2人の娘が仲良く微笑んでいた。彼が言うには、このイラン人の背後に暴力団(彼は、マフィアと表現しましたが…)も関係してそうだという。最悪、訴訟沙汰になるのも覚悟しなければ。

「日本に到着してから1年ほどして、イラン人グループから脅されるようになったようです。それで私は、いっそのこと帰国して家族4人で暮らそうと言ったんです。なにしろ給料の上前を取られるので、ブラジルへの送金もままならない状態でしたから。それで今週末、名古屋空港を発って帰国する予定でした。ところがアパートを引き払って友人の家に行く途中、それを知ったイラン人に誘拐されかかったようです。叩かれたり蹴られたり、暴行を受けたところを保護されて入院することになったと友人から電話がありました。その友人も、事態がよく分からないようです。イラン人の背後にはマフィアがいるようで、友人も怖がってか詳しく調べてくれません。それでも、入院先の病院の電話番号は分かりました」

 昼間に一度、連絡を取ったそうである。当然、日本は深夜であり、まったく話にならなかったそうだ。というかそれ以前に、相手はポルトガル語を理解できなかったのである。

 サンパウロにはCIATE(国外就労者情報援護センター)という団体がある。日本の労働省の外郭団体でもある。まずはそこに問い合わせるのが良さそうだが…。実は、そこにも行ったものの、ぜんぜん相手をしてくれなかったそうである。これを聞いてますます義憤に燃えた。「何のための団体だ。こうなったら私がメンドー見るさかい、安心してや!」

そこで、夜になるのを待って電話をかけてみた。時計は、午後10時過ぎ。夏時間だから、日本は午前9時だ。

 電話係の女性が、「はい、○○産婦人科です」と言ったのだが、おかしいとは思わなかった。「女性だし、当然かな」ぐらい。そして担当の先生を呼んで頂いた。

「カクカク、シカジカな訳でして、家族の方がすごく心配しておられるんですよ。状態はどうなんでしょう。入院というと、骨折など大怪我されたんでしょうか。それから病院に、イラン人は脅迫に行ったりしてませんか?」

 この話にお医者さんは、ちょっと沈黙された後に懇々とお話をされた。

「あのぉ、そういう事実はこちらでは聞いておりませんよ。この方はね、そのぉ、イラン人の方と同棲されておりました訳で。ところが帰国直前に妊娠しているというのが分かりまして、当院に来られた訳です。ですから怪我をされたとか、そういうことはありません。中絶手術から回復されましたら退院されます」

 衝撃の事実。無邪気な家族のニコパチ写真を見せられた後に、こんなコトを伝えるもなぁ…。

 ということで私は、通訳してくれていたポルトガル語の編集長にこの事実を話し、サッサと帰宅したのでした。翌日、彼に聞くと「元気なようだ。帰国したらよく聞くと良いと思うよ」と、コメントしたそうである。

 この数日後、CIATEの理事とたまたま雑談をする機会があった。この話をしたところ、「ブラジルに残された家族からデカセギが失踪したと訴えてくるケースのほとんどが、同じような理由で自分から姿を消しているんだよ。つまり人探しをして見つけたところで、本人が連絡を取りたがらないんだね。それでも同じような問い合わせがたくさんあって、いちいち相手にしてられないよ。もちろん、本当に失踪していそうなケースなら話を聞いてすぐに分かるけどね」と、言われた。「問題は出稼ぎ」と言えなくもないが、やっぱり「家族」だろう。

 もちろんこんな話はオフレコで、この理事だって公式には「出稼ぎを取り巻く環境に、憂慮しております」なんてコメントをされておられたのですけど。それにしても、私のような記者がいきり立つ前に、というかそのはるか前方を、この方は歩いておられるようであった。

 日本の省庁再編によって組織改革されたのか、あるいは意識改革されたのか、近頃のCIATEはデカセギ支援会議のようなことを活発に行っている。しかし、学者などを相手にした活動を新聞紙上で派手に見せる現在の姿よりも、当時のほうがデカセギとの距離が近くて現実を直視していた気がしないでもない。何しろ、学問はコトが起こってからの調査と対策である。私のこの取材(というよりエピソード)も同様で、「事後報告」と「まとめ」にしかなりえなかった。これに対して当時のCIATEの活動状態は、事件と同時進行だったと思う。あるいは現在の出稼ぎの状態が、当時のような沸騰状態ではなくなったということか。

 という次第であり、この一件の日時等は曖昧にさせていただきました。ちなみに、CIATEは私よりも先に調べていたものの、「真実を語る」のが忍びなくあやふやな応対をして誤解を招いたようです(実名をあげて話をしたわけではないので、確証はありませんが)

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