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サンパウロはいよいよ、夏

2002年12月4日

サンパウロ在住 美代賢志

 このところサンパウロは、毎日のように雨が降る。それもスコール。いよいよ夏だ。

 そしてテレビのお決まりのシーンは、市内を流れるチエテ川(これが下ってイグアスの滝になります)にゴミが集まり、増水するというもの。あるいは御茶ノ水橋(Viaduto do Chá)下のトンネルに水が溢れて充満したりと、市内のいたるところが冠水している光景だ。

 この御茶ノ水橋、ポルトガル名を直訳すれば「お茶の陸橋」である。さまざまな観光ガイドブックで、「日本人移民はこの橋の面影に、故郷日本の景色を重ね合わせ、望郷の念とともに御茶ノ水橋と名づけた(あるいは訳した)」などと書かれているが、こんなお涙頂戴の逸話は9割9分、嘘である。以前手伝ったガイドブックでも、その記述は削除してもらった。

 理由の第1に、移民の中で東京出身者の割合は少ない。第2に、他の道府県出身移民で東京、それも御茶ノ水に望郷の念を抱く移民はさらに少ない。

 それでも、「東京へ出かけて御茶ノ水に哀愁を感じる移民が多かったのかもしれないぞ」という読者もおられるだろう。

 そこで第3に、ブラジルへ移民する前、「江戸前寿司」を食べた経験のある移民(とくに御茶ノ水橋と名づけた戦前移民であるが)は皆無に近い。

 これの意味するのは、「戦前移民は貧しかった」などというのではなくて、ほとんどが「東京を知らない」ということである。なぜなら、江戸前寿司店が全国に普及するのは戦後だからだ。戦前、江戸前寿司を食べようと思えば必然的に、東京文化圏に何らかの形で足を運ぶ必要があったはずだ。

 ま、日本側からの推測はさておき、本当のところ、この「お茶」などというポルトガル語名を付けたのすら、日本人ではないのである。

 その昔この一帯は、中国人の茶畑であったことに由来している。もちろん、川もあった。

 と、話がかなり脱線したところで元に戻そう。

 実は昨年まで、どうしてこれほどサンパウロが雨に弱いのか、私は知らなかったのだ。とにかくサンパウロは、夏のスコールによる交通渋滞や家屋の浸水が、それこそ日常茶飯事なのだ。

 現在の大都市サンパウロの姿からは想像もできないが、サンパウロはその昔、鬱蒼とした森林であった(あたりまえか)。海岸のサントスから急峻な海岸山脈を上った頂上部とも言え、例えばサンパウロ市内で最も海抜の高いパウリスタ大通りあたりで800mある。西側(つまり内陸側)にはそれこそ広大な地域にわたって緩やかになってはいるが、それでも山である。渓谷とは言わないまでも、その頂上部だから起伏は多い。

 さて、そのサンパウロは山のてっぺんから開発された。例えば、サンパウロの中心となるセー広場は、ちょっとした高台である。それに最初に大地主たちの邸宅が築かれたパウリスタ大通も、やはり稜線である。墓地や弾薬庫など、どちらかと言うと厄介者が集まっていたリベルダーデ区ですら、中心街からパウリスタ大通へと向かう稜線上にある。旧市街地ともいえるサンベント(セーの北隣)も、やはり丘の上。そのセー=サンベントと西隣の高台レプブリカを結ぶのが、御茶ノ水橋である。

 こうして山の上が開発されると、川の水が涸れるのは当然だ。

 この川の名残が、例えばサンパウロ市を南北に縦断して御茶ノ水橋に連なるビンテ・トレイス・デ・マイオ(23 de Maio)大通りだったりする。こうした道路は、川を埋め立てて作られたわけではない。それだけに、いくらコンクリートに覆われても川は川、丘は丘の地形である。大雨が降ると、一帯の雨水が集まって川に戻る。というよりコンクリートであるだけに、水害はより拡大してしまう。

 ちなみに、地下鉄が通っている部分はいずれも稜線の部分である。このため、多少の雨には十分耐えられる仕組みになっている。問題は川や湿地帯だった部分。私が働いていた、ニッケイ新聞の前身となったパウリスタ新聞は、セー広場から下った元湿地帯にあった。雨が降ると社屋の周囲一帯が池と化して、孤立してしまったものである。湿地帯を埋め立てたわけではないので、なってしかるべくなったということなのだが、治水(下水排水)の当然だった日本から来ると、大いに戸惑ったのも確かである。

御茶ノ水橋…ここに故郷を見るには想像力が必要だ

 そしてそんなスコールが降った後の涼しい夜も、スコールのなかった暑い夜も、やっぱり生ビールはおいしい。なにせ夏なんですから。日本の冬に夏を満喫する気分、なかなか爽快だ。

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