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レアル計画以後

2003年1月17日

サンパウロ在住 美代賢志

 1994年7月と言えば、サッカーW杯でV4を達成し、レアル計画が実施されたりと、ブラジルには時代の変わり目と言えるような出来事があった。同じ時、私はブラジルに移住した。そうした意味では、私のブラジル生活はレアル計画とともに歩んだものであり、当時蔵相としてレアル計画を立案したフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ前大統領(95年1月1日―2002年12月31日)の歴史だったような印象も受ける。

 この間、すっかり変わってしまったことも少なくない。

 例えば電話。

 私がブラジルに来た当時に電話回線を自宅に持っているというサンパウロ市民は、裕福な層に限られていた。何しろ、1994年7月の最低給与は64.79レアル(当時約70ドルぐらい)で、その時の回線設置料(というか、回線自体が少ないので、基本的にはすでに所有している人の回線を購入するのである)が、地域にもよるが3500レアルぐらいした。ちなみに当時の私の給料は、週給25レアル(つまり月給は100レアル相当)だった。この頃は、取材の都合などで昼食を外で食べると、夕食を食べるだけの金額が残らなかったりした。

 日本語新聞社の給料だけで生活していた私にとっては、0.50レアル程度のブラジル製インスタントラーメンすら、高額商品という印象だった。

 という訳で、一般的(?)ブラジル人にとって電話回線は、まさに天文学的金額。現在では電話会社が民営化されたこともあり、固定電話の回線を設置するのはそれほど難しくなくなったのであるが。そのような理由から当時は、電話のレンタルがお金持ちの余得の手段になったりしていた。中には、電話回線を5本所有していて、それだけで充分暮らせると言っていた人もいる。今では、携帯電話が爆発的に普及し始め、固定電話回線は持っていて当たり前、という雰囲気になった。というか、固定電話を持たずに携帯電話を所持する人が多いような気がする。

 車も、現代的なデザインになった。

 それまで高率だった車両の輸入税が28%ぐらいまで引き下げられ、博物館に入れてもおかしくないような国産車の売り上げがバッタリ止まった。それまでは、旧ソ連製「ラダ」が幅を利かせたりした時期もある。旧東ドイツ製のトラバントのように「紙でできている」と言われることは無かったが、カルドーゾ前大統領はラダを、「馬車」と表現していた。それが一気に、輸入車でもソ連製ではなく、ドイツ車や日本メーカーの米国生産車がバンバン売れる時代が到来したのである。政府はあわてて、税率を70%以上に引き上げた。これには、日本政府からクレームが付いたほど。当時はドル安レアル高も手伝って、国産の安物と同じような価格でシビックなどが購入できたのだ。

 この影響からか、国産車はデザイン面でも大きな発展を見た。品質もずいぶん向上したのだが、私の判断はちょっと複雑。何しろ、もともとの品質が低かったのだから。

 これは日本の広告にも言えることだけれども、「性能が飛躍的に向上」するという事は現代ではほとんどあり得ないと思う。もし実際にそういう事実があるのなら、以前の性能が飛躍的に(というか極度に)悪かったということではないかと思う。こうしたコピーを使うことは現代において、メーカーの技術力が逆に疑われかねない。

 そうそう、ブラジルの大衆車(リッターカー)はドアの密閉度が弱いため、静かに閉めても半ドアになりにくい。というより、日本人的な力配分でドアを閉めると、ドアの蝶番(というのか)が歪んでしまう。「俺、ブラジルでは車を運転しないもん」という方、タクシーの乗り降りでは気をつけましょう。「バッタン」と扉を閉めると、お叱りを受けることもある。おっと、忘れてました。日本の方には分からないかもしれませんが、ブラジルのタクシーは自動扉ではないんですよね。その昔(ワーゲンのカブトムシが全盛だった頃)は、助手席側の扉に結わえられたロープを運転手が引っ張って閉める「自動扉」があったそうです。どういうわけか現在では、この自動扉を備えたタクシーを見ることはできません。

 カメローと呼ばれる街頭商人の商品も変わった。

 それまでは「安かろう悪かろう」だったものが、密輸中国製品という「安くてよい品」が席巻。とくに95年のクリスマスには、町を飾る電飾が安価な中国製電球のおかげで派手になって大きな話題になった。ま、近頃は関税が引き下げられているからか正規輸入が元気で、カメローの商品は「安かろう悪かろう」に逆行し始めている。

 身近なところでは、腕時計も挙げられる。

 以前なら、 街を歩いていると必ず、1日に1回は時間を聞かれた。それが無くなった。何しろ、カメローが1個5レアル程度で、安物(といっても見た目はしっかりしたイミテーションの)腕時計を売る次代が到来したからだ。

「ブラジル、とくにサンパウロで腕時計などしていると危ない」

 そう言い聞かされたのも過去の話。

 以前は、腕時計の時刻などでも、市中のバールなどの掛け時計を基準に合わせる人が多かった。問題は、このバールの時計がまったくもって、正確さにかけるという点であったろう。テレビの試験放送時間帯の時刻表示ですら、チャンネルごとに違うこともあった。ブラジル人は時間にルーズといわれるが、こうした事情も、その理由かもしれない。そんなわけで私は、NHKの短波放送の時報(番組)を元に、時計を合わせていた。

 ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領(PT)の誕生で、何となくひとつの時代が終わったような感慨を受けた。新大統領は、飢餓対策を最優先課題として掲げている。レアル計画の8年を振り返ると、今後に戦うべきは、飢餓というよりは貧困という気がしないでもない。少なくともブラジルは、「物のある国」にはなったのではないか。問題は、それを買うだけの財力が、ブラジル大衆にないのである。

 それにしても、例えば高校生時代の「昭和」から「平成」への移行には、そんな時代の変化という気分を味わっていない。…と、これは老けた証拠か?

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