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ウォークマンってなんだっけ

2003年2月5日

サンパウロ在住 美代賢志

 昔、日本の漫画構文法がブラジルの一般社会に受け入れられ始めたという意味で、「左ハンドルのマンガが登場」というコラムを書いたことがある。日本の漫画とアメコミというのは、本質的な構文法が異なる。かつての「アキラ」のように、アメコミ形式を志向して海外進出を図るというのではなく、漫画というものがダイレクトに、ブラジルで受け入れられる時代になったということである。手塚治虫が作り上げ、完成させた漫画という日本独自の手法がマンガとなって、ブラジル人にも理解されているとの解釈である。

 実は最近、ニッケイ新聞でこれについて、別の観点から連載があった。テーマは、「越境する日本文化」。細かい点では異論もある。しかし基調が、「ブラジルにおける漫画論」、あるいは「ブラジル人にも理解され始めた日本生まれの漫画構文」というものではなく、「ブラジルにおける日本人(あるいは日系人)の役割」という方面。そう割り切れば、なかなか面白かった。

 そして第2弾は「漢字」。

 以上を前置きとして。

 ブラジルは今、止まることを知らない漢字ブームである。漢字がプリントされたTシャツや、漢字の刺青、カタカナで自分や息子の名前を刺青にしたりという具合である。

 もちろんそこには、漢字が持つ(あるいは言語そのものが持つ文化としての)「存在の喚起能力(その言葉そのものがイメージを喚起するということ)」は存在しない。これは、「漢字の説明をポルトガル語で添え、それを読んで理解する」ということとは根本的に異なる。ま、だからブームと言われるのだろう。

 私は以前、「男」と「夜」、「遊」という3つの漢字をちりばめたTシャツを着たブラジル人女性を真昼間に見た事がある。その女性は、文化としての漢字をそこに見出して(つまりこの漢字から存在を喚起されるものを身に付けるという意識で)着用したわけではあるまい。もちろん彼女が、単純な意味すら知らないのは明らか。

 しかし、それを言えば今の日本、「なんて書いてあるか分からない」英語や横文字のシャツを着ている人って多いのではなかろうか? そういう人にとっては、むしろ、意味が分からない(存在喚起されない)から良いのである。その現象を横文字ブームと言えるかどうか。だから、「漢字ブーム」と呼ぶのも気が引ける。

 極端な話、本当に存在するなら皆さん、「火星人語」でもいいんじゃないの?(この場合、人類をはるかにしのぐ科学技術を火星人が持っている必要がある。いくら火星人でも「猿の惑星」やら「タコ星人」じゃぁ幻滅するもの。アラビア文字など他の意味不明言語シャツが少数派なのも、宗教、そしてとりわけ経済力の問題だろうから)

 さらにさらに、以上を前置きとして。

 茶道に華道、漫画、寿司刺身。ブラジルに定着した、あるいは定着しつつある日本文化は多い。その中で特異な存在といえるのが、「Haicai」である。つまり「俳諧」。ブラジルへの導入は諸説あり、フランス経由で入ったと言う人もいる。もちろん日本語ではなく、ポルトガル語で詠む。リズムは、ポルトガル語であっても五七五が基本であり、まさに「日本文化が移植された」と呼ぶにふさわしい。しかも、「本日の題目(使用する単語)は○○です」などと、日本の俳諧そっくりに句会は展開する。ところが、これはブラジルの日本語新聞ではほとんど話題にならない。

 なぜだろう?

 それは、いわゆる「日本人(移民)が入る余地などない」からである。Haicai(あるいはHaikai)としてヨーロッパで地位を築いたこのジャンルに、地域言語の不自由な日本人は何ができるだろうか? 俳諧の心を、延々とポルトガル語で語ることか? そのような段階はすでに過去のものといえるほど、ブラジルのHaicaiは成熟(ポルトガル語表現独自の発展を目指す)段階にある。

 だからHaicaiの世界は、日本人(移民1世)にとっては「活躍の場がなくて面白くない」。ブラジル人にとっても、「(単に日本人であるというだけで)滔滔と語られても煙たい。それぐらい、ヨーロッパ各国で出版された本格的な解説本を輸入して訳読するほうが深く理解できる」。加えて、日本語新聞にとっても、ニュースバリューが低い。紅毛碧眼やら縮れ髪で色黒のブラジル人が日本語で俳諧を詠むならともかく、ポルトガル語の詩を詠むなら普通。だいたい、そんなポルトガル語の微妙な機微を語れるほど、日本語新聞の記者はポルトガル語で取材できない。

 しかしこちらは、日本の俳諧という文化の核心自体は維持しているといえるだろう。

 ふと、「ウォークマン」を思い出してしまった。

 本来はソニーの商標なのに、その衝撃のあまりの大きさに「東芝のウォークマン」やら「パナソニックのウォークマン」などと変な言い方までされている。ブラジルでも同じ。ただし、「ウォルキメン」みたいなポルトガル訛りである。確かにそこには、「ソニーの」という意味はすでに存在しない。しかし、ソニーが提示した「パーソナルなオーディオの世界」は、他社の製品であろうと連綿と受け継がれている。

 Haicaiはまるで、「東芝のウォークマン」。

 そこで話は変わって。

 私のブラ妻は、例えば日本で、「あら、上手にお箸を使われるんですね」などと言われることがある。ブラジルではよほどのことでもない限り、そのような発言はない。日本食は箸で食べる、また、箸で食べるように日本食文化は成熟してきたのである。それが証拠に、洋食をナイフとフォークで食べて、「日本人なのにナイフとフォークでお食べになられるのですか?」などと外国人に言われたことはないでしょう? 皆さん。こんな発言をする人は、たいていは無邪気から言っているのであるが、悪く言えば日本食というものに、この程度の意識も持ち合わせていない。

 (白状すれば子供のころ、カップヌードルを欧米人がフォークで食べるCFを見て、腰を抜かすほど驚きました)

 ちなみに私は、スナック菓子を箸で食べる。そうすれば、仕事中でもキーボードを汚すことがないから。これはブラジル人に大笑いされたが、その大笑いしたブラジル人も今では、箸で食べている。もちろん、これを文化といいたいわけではない。箸というのは文化の一翼を担っているが、単なる道具でもあるということを言いたいのだ。それは漢字、あるいは文字も同じこと。

 そうした道具を使う心構え、あるいは道具を通して目的を深く理解するということ、これが文化ではなかろうか。茶道における体の動き、茶道具、それらはすべて「もてなしのこころ」に収斂されると聞いたことがある。目先のものにとらわれては、本質を見失う。

 ま、以上は新聞の連載から連想した余談である。

下は、ポルトガル語のHaicaiサイトの一例です。(注:外部リンクです)
http://www.kakinet.com/
http://www.sumauma.net/

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