Home l 談語フォーラム l リンク l カタカナ表記について l サイトについて l ご意見

貴卑コラム l 作ってみようブラジルの味 l 迷訳辞典 l ブラキチさん いらっしゃい! l 何でもブラジルデータ

この歌を聴け(はたまた対訳ではポルトガル語は学べない)

2003年9月1日

サンパウロ在住 美代賢志

 学生時代は英語の歌を聴き呆け、お陰で少しは英語のテストの点数を稼ぐことができた。ブラジルへ行くか…などと考えていた頃、同じようにブラジルの歌を聞いてポルトガル語を覚えるのもいいかな、などと考えたもの。多くの人にとっては、ボサノバなどの音楽からブラジルに興味を持つと思うのだが、私の場合はまったく逆だった。というか、ブラジル音楽自体は今でも、熱狂するほど好きではない。

 しかしこの目論見は見事にはずれ、ブラジルに到着するまで、挨拶すらロクにできなかった。

 日本語の対訳と原文を、辞書を引きながら読み比べるのだが、はっきり言ってチンプンカンプン。「何でそんな意味になるんだ? 動詞の活用によるものだろうけど、歌なんかでポルトガル語は学習でけへん!」というのが、当時の結論だった。しかし、今になって改めて当時の対訳を読み返すと、当時なぜ理解できなかったのかよく分かる。つまり、「対訳は間違いだらけ」だったからだ。対訳にあわせようとポルトガル語を読む行為に無理があるのだ。ま、すべての対訳が間違っているとは思わないが、少なくとも私の手元に残っているCDでは、それが多い。

 結論を先に書くと、私のわずかばかりの日本で購入したブラジル音楽コレクションで判断する限り、「対訳でポルトガル語を学ぶ」などという考えは持たないほうが良いと思う。もちろん、反論もあるだろう。「お前の持っているCDだけに誤訳が集中してるんじゃないのか?」。この意見には正直、何とも答えられない。そうかも知れないし、違うかもしれない。ただ、「1枚だけだろうが、1万枚だろうが、その人にとっては貴重なCDだぞ」ということ。少なくとも、「ポルトガル語なんてどうせ大多数には分からねぇだろう?」的な手抜きをレコード会社がしていると感じるわけで、それが気に障る。

 手持ちのCDの和訳を引用しつつ、その誤訳を指摘する。ここで引用するのは、ダニエラ・メルクリのアルバム、「o canto da cidade(オ・カント・ダ・シダーヂ)」。もしかすると改訂版で誤訳が修正されている可能性があるのでもう少し詳しく書くと、番号はESCA 5790、エピック・ソニーで、リリースは92年9月17日となっている。私が購入したのは、93年半ばごろだったと思う。訳は、国安真奈さんという方。一応ながら補足しておくと今回のコラムの目的は、国安さんの訳の出来が云々ではなく、繰り返しになるが、「すべての音楽ファンにとって所有するアルバムの1枚1枚が貴重なのだから、レコード会社はそれなりの仕事をしろ!」ということである。レコード会社が自信(と責任)を持ってリリースしてるんだろう?

 まず、第1曲目の「o canto da cidade」から。なぜかタイトルに、(都会の歌)などと括弧付きであって、訳者が完全に勘違いしているのが見て取れる。以下、手身近に引用して誤訳を指摘する。

 曲は、

A cor dessa cidade sou eu

 で、始まる。この対訳は、「この都市の色は 私」。しかしよく見てくれ。動詞が一人称であるから、「都市」が英語文法で言うところの主語になるわけがない。つまり「私」、というのがこの一文のテーマである(私は、主語が省略されるポルトガル語に対しては、英語構文法よりも日本語構文法的な考えをもっており、主語ではなくテーマと捉える)。それから、corには確かに色の意味がある(というか、普通は色の意味で使われる)が、この場合のcorは「象徴、特徴」という意味。つまりこの一文は、「私こそがこの街の象徴」という訳が直訳としては正しい。だから、これに続く歌詞

A canto dessa cidade é meu

 も、CD添付の対訳「この都市の歌は 私」ではなく、「この街の歌は私が独占しているの」である。もちろん、「この街の街角は全て私のもの」という意味でもOKなので、その場合は「この街全てが私のステージ」とでも意訳できる。国安さんは、cantoを「歌」と訳されることが多いようだが、実際はどうなんだろうか。日常的には、「街角」として使うほうが多い気がするが(もっとも、この場合はCantinhoと表現することが多い)。いずれにしても掛詞みたいなもので、どちらでもOK。そして私の訳なら、トリオエレトリコとか東北部のそういう風景を彷彿とさせないだろうか? 「私(=たぶんダニエラ・メルクリ本人)」が、街中で歌いまくっているという情景を、である。だからこそサビで、「私が(歌って)行く後を、あなたがついてきてね」と歌うところが活きてくるのだ。

 はっきり言って、私には「この都市の色は 私」などと書かれても、日本語として意味不明としか言いようがない。CDに添付されている対訳に対しては、意訳との評価を与えるよりは誤訳と指摘すべきレベルだと思う。最初に私が、「都会の歌」と書いている時点で「訳者が勘違いしている」と書いたのは、そういう意味である。最初で動詞の人称とcorの意味を把握し間違えているため、全体を通してフォーカスがぼやけてしまっているのだ。この歌は、断じて「都会の歌」などというものではなく、あえて訳したいなら「巷の歌」と訳すべきところであり、「流行歌」と意訳できるはずだ。

 さらに、このCDの対訳にはもっと面白い誤訳がある。以前、談語フォーラムでも書いた「Comer (食べる)」に関するもの。曲名は、Você não entende nada 。CD添付の対訳は、「食って食って食いまくる お前をだ」。国安さんが、ブラジル人を人食い人種にしてしまう意図は何だろうか(笑)。もちろん、当時フォーラムをお読みいただいた方には明白だろう。この場合は、「(お前の作った料理は)全部食べる。そしてお前を可愛がってやるのさ」という意味である。この歌は、「食べるだけのぐうたら関白亭主だけど、家族(というか奥さん)だけはしっかり可愛がる」という、ブラジル(私にはとりわけ東北部と思えます)の男性の愛嬌を織り込んである歌なのだ。私の所有している辞書のひとつ、「大学書林 ポルトガル語小辞典(平成5年第102版)」には載っていないが、ポ=ポ辞典(Michaelisの現代ポルトガル語辞典)にしっかり「Copular com (uma mulher)=(女性)と性交する」と載っている程度の、ごく普通(やや下品ではあるが…)の表現である。

 ほかの曲の対訳に関しては、イチイチ指摘しない。それが目的でもない。レコード会社の担当者は、こういう日本語を理解してしまう特殊な感性があるのか、それとも日本語に対する当たり前の感性が鈍っているのじゃないか。「都市の色ってどんな色だ?」とか、「お前を食べるって、本当に食べちゃうわけ?」などと、思わないのだろうか?

 これらをはじめとした数々の誤訳が、すでに修正されていることを切に祈るのみ。

 そんなわけで、世間のチェックの厳しい英語ならともかくも、ポルトガル語はマイナー言語。「対訳見ながら歌でも聴いて覚えよう」という考えは、裏切られることが多いと思う。あくまで、私の所有するCDからの結論であるが。希少盤ならともかく有名な歌手のCDなどは、オリジナルを購入するほうがお勧めだ(そのほうがたぶん、安いだろうし)。自分で辞書を引きつつ聴いた方が、よほど身に付く。ま、音楽や歌手に関する解説が欲しい、というなら話は別だろうけれど。もっとも私はそれほどブラジル音楽が好きなわけではないので、解説文のクオリティーに関してはよく知らない。ただ、一般的なブラジル人に聞くよりは、はるかに詳しいのは間違いないだろう。良質の解説に最悪の対訳の組み合わせ、まったく痛し痒しだな。レコード会社に関しては、もう少し襟を正して欲しいと思う。

 まぁ、ポルトガル語の誤訳は音楽に限ったことではないのだけれど。

貴卑コラム目次 l ページトップ

当サイトに掲載の文章や写真、図版その他すべての著作権は、断りのない限り美代賢志個人に帰属します。

Copyright (C) 2002-2004 Kenji Miyo All right reserved.