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絶滅危惧種

2004年4月21日

サンパウロ在住 美代賢志

 どなたの講演であったか忘れたが高校生のころに聞いた、「冒険と探検は違う」という言葉が印象に残っている。大まかに言うと、「冒険は未踏の地平を行くことが目的であり、帰還する必要なない。探検は分析が目的であり帰還する必要がある」という内容だった。この方は研究者で、どちらかというとメディア戦略もあって派手な冒険に批判的な意見であるという印象を受けた。植村直己氏が消息を絶って4年後だったか。わずか15年ほど前。それでもあの頃はまだ、そんな熱気があった。今では冒険家も探検家も、「絶滅危惧種」かも知れない。

 これを久しぶりに思い出したのは、イラクの人質事件をめぐって日本の世論が不思議な方向に向かっていると感じているからだ。といっても人質事件をめぐる一連の出来事は、私などはあまり知らないのであるが(とくにイロイロ言われている家族の態度など)。それで少しばかり興味をもって調べてみると、人質となった人たちの自作自演の可能性すらあるという。情報の攪乱と操作は、何も国家の特権ではない。充分に考えられることではあるだろう。

 それでも…と、日本の自己責任論に反論したい衝動に駆られるのは、ブラジルに暮らす私の甘えだろうか。以下、歯切れの悪い文章が展開する(笑)。

 いくら個人の問題といっても、これが時に国家を巻き込んで行く過程は、過去に書いた。そして、大衆に訴えるだけの報道が行われた時、受け手である人々の善意は、ある意味では暴力的ですらある。1994年のピューリッツア賞に輝いたケビン・カーターの「ハゲタカと少女」を、忘れたという人は少ないのでは無いか。ハゲタカに狙われた1人の少女を、撮影する以前に救うべきではなかったのかという批判が世界中に巻き起こった。もちろん我々は映像の訴えた世界が、実際に手に触れる形で存在しているのを棚に上げて。「なぜカメラマンより先に私は、この少女を助けようとこの場所にいなかったのか。そうすれば少女は助かり、あの写真すら撮影されることもなかった」とは、(私を含めて)誰も考えなかった。安全圏からケビン・カーターを非難し、そして彼は自殺した。

 自己責任論は私にとって、桃源郷に暮らしていると思い込んでいる人が、その村から出てゆく探検家や冒険家を非難しているように思えてならない。快適な環境の殻を破って出てゆくなんて! そうしてまで出て行って怪我をした人に、なぜ私が丹精込めて育てた桃を分け与えなければならないのか! もちろんこれは、それだけ日本が「住み良い国」に経済的発展を遂げているからに他ならないし、それは素直に喜ぶべきだ。

 でも、日本では父母に迷惑をかけないことから始まって、迷惑をかけてはいけない対象は学校や会社、現在に至っては、国にまで達したこと(もちろん、朝鮮半島から日本が迷惑をかけられないためには、攻撃を主張する米国を支持してイラク国民に迷惑をかけることは許される)には、ある種の感慨を持たざるを得ない。それは、波風を立てないこと、減点を付けないことが重視されてきた日本社会の到達点でもあろうか。そこに必要なのは処世術。しかし私は、「処世術に応えるよりも、情熱に応える社会であって欲しい」と希望する。その情熱が前向きなのか後ろ向きなのか、という問題はあるけれど。

 私は、社会的な意味でのフロンティアを拡大する絶滅危惧種を、保護・育成したいと思うひとりである。

セー大聖堂

 

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