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ところで記者って必要ですか?

2005年10月3日

サンパウロ在住 美代賢志

 ニッケイ紙のM君に会った折に「オーリャ!を書きなよ」と言ってみたら、「最近、更新が少ないですね、ゴルァ!」と反撃されてしまった。というわけで、何か書いてみようか…と思いつつ。それから、面白いブログを発見したので、長年にわたって気になってきたことをここで。

 パウリスタ新聞と日伯毎日新聞が合併して「ニッケイ新聞」が誕生したのはいつだったか忘れたけど、確か1999年じゃなかったかと思う。98年だったか? その1年ぐらい前に、日伯毎日新聞の経営陣が新しい展開を模索し始め、面白いなぁ…とひそかに注目していた。もちろん、その面白いというのは、「地方の読者には1週間とか2週間分の新聞がまとめて束になって届けられるような状況(当時)なのに、朝夕刊体制にしたい」とか、「その日の記事にもこと欠く状況なのに、日曜版を出したい(売店の日売りを照準にすれば、出版すること自体はあながち間違いでもないけど)」とか、そんな類のものでありますね。

 どうしてこういう話を知っているかといえば、当時、「編集(ともちろん記者)をやらないか?」という話があったから。もちろん、そんな素っ頓狂なプロジェクトの尻馬には乗るはずもなかったのだけれど。そんな関係から、パウリスタ新聞と日伯毎日新聞の合併話は「向こう側」の日伯毎日新聞社の経営陣から、かなり早い段階で聞かされた。自社だと、社長と専務あたりしか知らない段階だったりするわけで、まぁ、経営者の鷹揚さというか、皆さんも現在お感じになられている新聞社の○○な部分(○○には、好きな言葉を入れてください)というのは、今に始まったわけではないのですな。それで、その合併の時も、「モノクロフィルムを使うより、カラーフィルムの方が安い」なぁんて話が出て、暗室が取り壊されたりもした。

「1日に載る写真は10枚以下だろ。ラボと、カラーネガ12枚撮りを1レアルで現像してくれる提携をした。1日あたり1レアルだぞ。高価なカラーフィルムを購入しても、従来のモノクロより安い!」

「は? 紙面の写真って、記者がそれぞれ持って出たカメラのフィルムをそれぞれ現像してセレクトするんだけど、それでも安い? 人数分のカラーフィルムを毎日消費するんだけど」

「あ、そうか! じゃぁ、高くつくじゃないか!」

 しかし、暗室はすでに取り壊された後だった…というオチまでついた。ま、今ならデジタルカメラなんで暗室不要ですけど。こういった素晴らしい経営センスになじめない一部の人が、合併前から独立(新生パウリスタ新聞を創刊させる)を主張したりなどした。私もその1人。理由は、

1) 老舗(パウリスタ新聞は創刊から50年以上の歴史)のブランドは、金で買えない。

2) 優れたルポを正当に評価してもらう(正当な報酬を受け取る)には、市場原理(記事制作会社として独立し、新聞社に記事を売る)を導入すべし。

 という程度の浅はかなもの。それでも、今度は新聞を作っていた側からひとりの読者になってみると、この市場原理というのは意外と重要じゃないかな、と思える。とりわけ、ブラジルの日本語新聞においては。

 というのも、新しい記者が登場する度、「ブラジルにきて日本人の血に目覚めました」とかそれに近い話や記事がわんさかと登場するのである(もちろん、私の記事だってそうだった)。これは日本の、とりわけ学生等が主な購読者になっている雑誌にも似た状況といえる。例えばカメラ雑誌なんて、毎年、商品(新製品)だけを変えて同じ話題を一巡してゆくというパターンですな。日本語新聞的には、同じ話題で登場人物が違うというやつ。例えば、ニッケイ新聞で連載中の「夫は非日系ブラジル人」なんかは、連載の中でそのパターンだったりする(というか実際には最初の1回目も半分ぐらいまでしか読んでなくて、後はたぶん同じ筋書きで登場人物と住んでる場所や団体、仕事(生活)の内容が違うだけ…だと思うけど違うのか?)。これがもし、独立した記事制作会社から編集部が記事を購入する立場であれば、どうだろうか? つまり、新聞社は読者と同じように、記事の値段(価値)を評価するということになる。

 理想を言えば、日本語新聞の記者をまとめる会社があって、出来上がった記事にサンパウロ新聞とニッケイ新聞が入札するというのが(記者にとっては)美味しい気がする。売れ残りは、サイトで独自に発表するとか。以前、サンパウロ紙のある記者(すでに退社されました)が、「雇用契約上は業務の委託」といっていたのだけれど、そういうシステムさえあれば、彼はどちらの新聞にでも、高く値をつけたほうに記事を販売できたわけだ。この雇用形態は、たぶん、新聞業界的には、解雇にかかわる費用が非常に安価に実現できるというメリットもある。これは収入面で記者にとってマイナスだろうけれど、記者の流動性(常に記者にあった活躍の舞台が用意される、あるいは紙面に対して適切な記者を確保できる)という、読者側のメリットって大きいのではなかろうか?

 こうした流れはつまり、編集のセンス(権限)と記者のセンス(権限)を切り分けるということでもある。編集者の意向に沿った無意味な企業の叩き記事が出たりすることもなくなるし、優れた記者を、そぐわない編集業務に縛り付けるということもなくなるのではないだろうか?? ま、会社人間な編集部(記者)の体質だと、それも無理。でも、いろいろな記者と話していると、愛社精神よりは愛「職」精神の方が強く、結構リベラルだと思うのだけど違うのかな?

 てなわけで、ツラツラ書いてみたものの、言いたいことはここに上手にまとめてある。

しんぶん伊勢丹化計画@マーケットの馬車馬

 ここから派生している他のページも要チェック。「真実を追えないジャーナリスト」という部分も、「分かりやすい」というのを「受け入れられやすい=日系社会の屋台骨を壊さない(つまり決定的な暴露や疑問を呈しない)」という風に読み替えると、日本語新聞の記事の流れが良く分かる。記者なら誰もが知っている(記者と話をすると普通に問題点が俎上に上がる)のに、記事にならないという部分や煮え切らない報道になる部分(例えば件の文協会長選挙の内幕や、100周年がずっこけてることに表面的な理由付けしか報道ではされないことなど)の、理由がわかりそうなもの。

 とまぁ、そんなことを思いつつ、日本語新聞を開く時にワクワクしている自分がいるのである。

 …と書いていて、この夜、ニッケイ紙とサンパウロ紙の牽引車的な活躍をしている2人の記者とバッタリ遭遇。幸せなひと時を過ごしたのでありました。で、情報によれば明日(4日)の両紙の紙面は、スゴイらしい(「触りですけど…」と某記者はおっしゃってましたが、そんなことはないハズ)。…ワクワクして寝られない。

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