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これからも失敗する日系人の受け入れ

2006年6月1日

サンパウロ在住 美代賢志

  6月1日付のニッケイ新聞の報道によれば、河野太郎法務副大臣が「日本社会として日系人を受け入れる意思も態勢も欠けており、労働力としてしか見ていなかった。失敗を素直に認め、やり直す必要がある」とした上で、「日系人の受け入れは失敗」と断じたそうだ。
 以前から、デカセギは血縁(三世まで等)にこだわるべきではないと主張してきた私からすれば、日本語能力や定職といった条件に比重を置くとする河野副大臣の意見は一歩前進…と言いたいところながら、実際には一歩前進・二歩後退という表現のほうが正しいのではないか。

 血縁に拘らないという点で一歩前進。中途半端な属人主義で二歩後退。

 つい先日、日本から来た人たち(日本人と日系人、二重国籍の人たち)と話す機会があって、ちょうど属地主義と属人主義の話になったところ。ブラジルはご存じのように、いかなる国籍の人であれブラジル国内で生まれれば「ブラジル国籍を取得」する。一方の日本は、属人主義。ブラジル人が日本で子供を産んでも、日本国籍を取得できない。ただ、日本の場合はこの属人主義ともやや異なる。例えば子孫であるということ(イタリア系など)を中心に据えた国と違い、日本は、血の濃さに重きを置いてきた。デカセギは日系三世までを受け入れる、というのもそのひとつ。四世になると、「日本人として血が薄い」というわけ(こういう理屈のいかがわしさについてはこちら)。ちなみに日本の日本人は血の濃い方を選び、ブラジルの日本人は血の薄い方を選ぶ。どういうことかというと、日本人と二世が結婚して生まれた子供は、日本人にとっては二世(または国籍によっては日本人)、ブラジルの日本人にとっては、三世(または国籍によっては日本人)ということ。これは、日本人と移民、それぞれの実生活における心情から生まれた数え方だと思う。日本人にとっては、日本人はどこへ行っても日本人。これには、世界的にも希な制度だといわれる戸籍制度が影響しているはず。天皇の赤子はどこでも日本人だったわけだ。ところが、実際に外国へ行ってみると、そんな期待は崩れ去る。「日本人同士の間にブラジルで生まれた二世ですら、日本人らしくなくなる」。だから戦前はとりわけ、「ガイジン(ブラジル人)と結婚したら、子供は日本人じゃなくなる…」という危機感すら移民の間にはあった。つまり私の娘(日本人とブラジル人の子供、日本国籍)は、移民の立場からはブラジル人というわけ。日本で生まれてブラジルで育った日本人を、準二世(二世に準じる日本人)と呼ぶのも、同じ心境からだ。

 だから、同じくニッケイ新聞の(稲)記者(なのか?)のこうしたすれ違いも、やはり根は同じ。

 そして今回の河野副大臣の発言は、こうした血族的要素をなるべく排除した属人主義へとシフトしたものだとも言えそうだ。

 ところが、同副大臣の考える属人的要素、つまり日本(という国と人)に合致する人的資質というのが笑わせる。曰く、「定職と日本語能力」。「ブラジルで生活したい人は、まずはブラジル国内で正規の長期労働契約を。またポルトガル語能力も必須です」などと言われたら、恐らく、多くの日本人移住者が笑うだろう。もちろん、企業駐在員ですら。

 ひとりの外国人が、ブラジルという国に貢献するということ。それは、最初から、あるいは特定の時点で「定職」を持っていることや「ポルトガル語能力」があることとは必ずしも関係しない。農業分野でブラジル社会に貢献した人の多くが、必要に応じてポルトガル語を習得はしたであろうが、それは結果論でしかない。私だってブラジルに来た時、ポルトガル語が全く話せなかった(で、一応はまぁ、今では微力であってもブラジル社会にも貢献できる生き方をしているかなというぐらいの自負はある)。ブラジルに進出しブラジル国民の生活環境を様々な分野から改善している企業駐在員のどのぐらいが、ポルトガル語に支障無く暮らしているだろうか? でも、それで良いのだ。

 これは日本でも事情は同じで、私が通訳をしていたある工場の人事課は、「日本語の分かる人」というのが最優先の人選だった。正直言って、こういう基準で選ぶと、日本人に取り入って他の日本語のできない人の悪口(あるいは責任のなすりつけ)をしてはサボる人が加わって、うまく行かない。しかも人手不足ともなれば勢い、ポルトガル語もほどほど、日本語もそれなりにできるけど不登校で遊びほうけていたから就労能力ゼロといった人を雇いかねないのだ。こういう手合いには、入社当日から会社を休む、という日系人すらいた(というか、その友人の日本人もそうだったが)。他方、同じ工場内でもとある部署は部長自ら「働く人」という注文を入れていたぐらい。この部署では日本語が分かる人が少なく、しかし馬力を入れて働く女性ばかりが揃っていた。この部署は仕事がハードだった割には、辞めるブラジル人がきわめて少ないというのも特徴だった。当然、ブラジル人の人集めや新入社員のトレーニング、管理に必要なコストも、少なくてすむ。

 ところで一方の属地主義のブラジル。もともとは、宗主国であったヨーロッパの小国ポルトガルが、植民地を維持管理するための国民を急速に増加させるには属地主義が一番適していたから採用したものだといわれている。ま、いずれにしてもその国に魅力がなければ人も集まらないし、国籍をばらまいても関心を示す人は少ないだろう。しかしそれこそが、ブラジルのブラジルたる「キモ」の部分ではなかろうか? この国の親しみやすさ、居心地のよさ、気持ちを素直に表現する国民性、様々な価値観や人種に対する包容力…。すべてが、属地主義のたまものである。別に属地主義のほうが属人主義よりも優れているという気はないけれど、外国人とおつきあいする上でのファンダメンタルな部分というのは、こういう、「私の国を好きになってください」という部分だと思う。これは例えばブラジルの県人会なんかでも一緒で、これからの生き残りのツボは、「数ある中から、私の県を好きになってください」といえる魅力を提示することに他ならない。沖縄系日系人と、北海道系日系人が結婚する時代なのだ。その子供は、どちらの県人会に入るのか? え?日本語ができない人は日本に造詣が深く有能でもいらないって?

 つまりは、日本という国のファンを作り、ファンを受け入れなければならないということ。河野副大臣の「日本社会として日系人を受け入れる意思も態勢も欠けており、労働力としてしか見ていなかった。失敗を素直に認め、やり直す必要がある」という言葉は、当サイトで何度も指摘してきたとおり、日本がその努力をしなかったということを意味しているはずだ。ただし、「定職と日本語能力」というのは、「ファンの受け入れ」であるかもしれないが、日本の「ファンを作る」ということからは大きく乖離している。

 そうそう、諸外国の外国人の比率が低いのは、日本と違って有能な外国人に対して積極的に国籍を与えているからではないのか? つまり、それらの国には、それだけの魅力があり、国籍を与えても良いと思えるぐらい有能な人(その国の言葉が堪能な人という意味じゃないぞ)が集まって来ている、ということだと思うのだが。

 ま、次のウン十年、日本語ができて定職がある人だけを確保して頑張ってください。そして、将来の役人がこう言うのだ。

「日本社会として日系人を受け入れる意思も態勢もあったのに、単純労働以上の貢献をしてくれる人は残ってくれなかったし来てくれなかった。失敗を素直に認め、やり直す必要がある」

 自分のできること、得意なこと、好きなことを自己責任でやって社会に貢献しようという人じゃなく、好きでも嫌いでも何か職に就いていることを優先する日本の風潮。そりゃ、ニートも増殖するわ。

PS:ニッケイ新聞のアップロードの迅速さは、なにやら新聞紙を購入するのがバカらしくなるな…。これも、フォーリャ紙の発送システムを利用して即日配達が可能になったことを受けてのことだろうけど。

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