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ブラジル小話 2006年8月 |
日付順(逆順)に並んでます |
2006.08.30 ▲ この方はテレビ司会者で、胸の谷間はシリコンバレー。 2006.08.2 5 ▲有名人もどうぞ。 2006.08.2 4 ▲ある企業が現在、日本文化紹介のイベントを企画して、スポンサーや参加団体を募集中だそうな。この企業は、日系の某団体に対して法的根拠のない書類(団体関係者以外の人物が署名した発注書)を提示して金銭を請求したことでも知られる。その請求に対してこの団体が逆に、法的根拠のある書類があれば支払いに応じると対応したところ、いきなり提訴してきたとか(…と書くと、勘の良い人ならピンとくるかな?)。で、このイベントは、その某団体が主催する事業をまねて(というか、その事業に横やりを入れるのを目的として)、企画されたと思えるほどそっくりの内容なのだ。実はこれには裏があって、件の書類に署名した(自称?)「団体関係者」も、このイベント運営の片棒を担いでいるという。まさに、先の請求がマッチポンプなんじゃないかと思える組み合わせなのだ。その上、この人物というのが、「日伯犯罪人引き渡し条約の締結を…」なんて正論を大々的に展開していたりもする、某新聞社の経営陣に関係する人であるとのこと。その新聞社の関係者のひとりは、「この件がもし事実なら、経営陣がどう言ってこようが、編集部が黙っていない。それ以前に、このような倫理にもとる行為を社長が許さないだろう」と、編集権が確保されていることを強調していた。ま、以上のような裏側の事実がどうなのかはともかく、「日系社会(あくまでサン・ジョアキン街の、ですが)」を二分しかねない事件が進行中ということに関しては、ひとこと欲しいところ。でも、経営陣による圧力もないのに、事実の片鱗をある程度把握していながら(この問題を把握しているのは、ある記者がコメントしていましたですよ)、自主規制なのか、ひとことも触れない対抗紙の編集部のほうが重傷って気もします(笑)。 2006.08. 23 ▲2006.08. 22 ▲ちょっと、風邪ひいてます。 SILKYPIXのVer.3が、もうすぐ発売されるみたいですね…。ここまで毎年、タイマーを仕込んだようなバージョンアップってどうなんでしょうかね…。色が極端な部分とか、不満点が解消されてはいるようなんですが、その他の部分が足を引っ張って、あまり食指が動かない管理人でございます。今後、Ver.2で対応しない最新機種を入手した場合、SILKYPIXを使って現像するなら、RAW→.DNGで良いんじゃないかなーと、今回のVer.3を横目にみつつ、考えたりしています(試用すらしていません)。 2006.08.17
▲ 2006.08. 11 ▲シンプルな美しさのの次はコテコテの色彩の美しさを。 さて。行って参りました、Photo
Image Brazil。南米最大の写真用品見本市の最終日。 さて、どうするかな…。 2006.08. 10 ▲エプソンのStylus 670(私のものじゃないです)の4つのランプ(電源と用紙、黒インク、カラーインク)が点滅、一切の操作を受け付けなくなった。もしや廃インクタンクかと思って検索。実際は、このサイトとちょっと違った。このプリンターを使っておられる方がいるかも知れないので、リセット方法を、覚えている範囲内で紹介します。 1) インクボタンと用紙ボタン(片方でも良いみたい)を押しながら電源投入 2) 電源と用紙のランプだけが点滅すれば、一度すべてのボタンから手を離し、続いてインクボタンだけを押し続ける 3) 電源ランプだけが点灯し、それ以外の(用紙)ランプが消灯すればインクボタンから手を離して終了。 【ナナメ読み】 ブラジル勝ち組テロ事件の真相@サンパウロ新聞 残念なことに私にとっては読む価値ゼロになってしまった「真相@醍醐氏談」なのですが、10日付けのものにも反応を。見出しで「『伯国敵中』の世界を創作」ってあるんですが、この事件の頃は、日本とブラジル、国交を回復してたのでしょうか?(すみません、歴史的知識無くて) 戦中から終戦後も長く(フジヤマのトビウオがブラジル遠征した時ですら)「あらゆる日本人が敵国に住んでいた」というのが私の認識だったんですが、醍醐さん(の連載の見出し)によると、そういう認識は勝ち組の創作みたい。あ、本文は読んでいませんのであしからず。いずれにしても、この件に関してはこれで終了。 2006.08.0 9 ▲もちろん私も…35mmフィルム換算で28mm相当では、せっかくポーズを取っていただいたのに力不足…
ブラジル勝ち組テロ事件の真相@サンパウロ新聞 作家の醍醐麻沙夫さんの連載。個人的には、このあたりの事件というか歴史認識に対する論陣には、あまり(というか全く)興味はないのだけど、微妙に気になるので、少し。 「初めて明らかになった」と銘打った「真相追求もの」なのですが、「私の理屈に合うような証拠を集めてみました」ということじゃないか?という疑問がわいたので、この疑問を、さるお方にメールにして送ってみました。以下、その要点。基本的には、9日付の、カーキ色の外套の謎に関する部分。 1) 「なかでも私でさえ容易に思いだせるのは山中峰太郎の」と書いておきながら、後ろで、「読者のほとんどはこの本の内容を知らないと思うので」と記述。いったい、この本はごくありふれた書物なのか稀覯本なのか、どっちなのだろう。 2) ライフワークだと醍醐氏が言うこの問題で、これほど重要な役割だと直感している本ですら、「いつか日本へ行ったとき調べてみよう」程度にしか思っていないことの不思議。 3) 「たしかオリジナルは」と書くなど、どうも醍醐氏はこの書物を「容易に思いだせる」とお書きになるほど詳しく存じておられるわけでもないようであること。 4) この本の写真がカーキ色の外套のモデルになったと主張されたいようなのだけれど、モノクロ写真からどうやってカーキ色であることが分かったのかという不思議。日本兵の軍服(あるいはこの特殊任務についた人たち)の外套がカーキ色であるのが一般的に(写真以外の要素で)知られているのなら、この本以外にも、様々な要素がカーキ色の外套のモデルになりうる可能性があること。 以上から私には、醍醐氏の主張は「推論」にぴったりはまる資料(史料じゃなく)を見つけた、という以上のものではないように思えるのです。もっと有り体に言えば、「推論(真相と思われるもの)にぴったりはまる書物を偶然に友人宅で見つけたけれど、順序を逆にして史料を見つけたところから真相に達した(推論を立てた)ように説明した」ということなんですが。 というような内容をメールにしたためたわけです。…と、某氏から、返信あり。 「『カーキ色の外套』は当時ごく当たり前にこちらの労働者が使っていたもので、メンバーの外套購入伝票まで見ている」という、さる研究者のコメントが添えられていた。現在の、清掃作業員が来ているオレンジ色の服みたいなものか。何でも訊いてみるものですね。 2006.08.08
▲ 2006.08.04
▲ 2006.08.03
▲ 2006.08.02
▲ 2006.08.01
▲ (2006年7月はこちら) |
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