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ネットワークな関係の時代

2004年6月8日

サンパウロ在住 美代賢志

  過日、サンパウロ新聞のある記事(モデル校だけなぜ優遇?・地域の中心機関視に反発・総領事館分室ネットワーク構想推進で)を読んでのけぞった。「うわ、まだこんなこと言ってるのか」。サイトにアップされたようなので、とりあえず書いてみることにした。実は、2002年、これに関する協議の議事録を速記したことがある。これ以外にも、農業関係のネットワークの協議でも速記をしたりして、どちらも同じ問題を孕んでいるなぁ…と思ったものだった。

 つまり、
「日本人は、情報伝達というものを上からもらって下に伝えること(上意下達)しか想像できない」
 ということ。

 あるいは、
「自分と相手と、どちらがエライのか?」
 という利害関係でしか物を見ることができないと言い換えることができるか。

 具体的な内容に触れるのはイケナイので、大雑把に書くと、この記事が報じたような「なぜモデル校だけを優遇するのか」という意見は、2002年にも散々、学校側から出された。あるいは、「情報を受け取ったら、どこへ通達すればよいのか? 私たちの学校は、○○学校の下部組織ではないのに…」といった質問も。その中で散々いわれていたことは(何しろ、本題に入る以前にそこで議論は堂々巡りなのだ)、「ネットワークというのは上下の関係ではありません。横の対等な繋がり。単にその拠点として、つまり責任を持って情報交換していただけるという位置付けにしか過ぎません。情報をどこから受け取って、どこへ受け渡しても構いません。ただ、当初は、必ず情報が行き渡るという必要があると考え、そのひとつの方法ということです。情報が有益であれば、地域の学校も含めてどんどん交換してください。他の学校が、これに参加してはいけないということでもありません」ということだった。つまり、この記事を書いた記者が実際の話し合いの場を取材しなかったのではないか? JICAと日系人(あるいはガッコの先生)側のこのすれ違いこそ、面白い題材だと思う。

 このネットワーク構想は、あくまで私個人の考えだが、「自己否定の先にある個の確立」を求めているのだとも言えるだろう。このサイトの読者には改めて言うまでもないことだろうが、ネットワークというものが機能するとするなら、そもそも、「中核」という概念自体がなくなる。当初の核になるものはあったとしても、それをなくすことが究極の目的であり、構想自体にその崩壊がプログラムとして組み込まれているということ。DNAに「老い」がプログラムされているように。そこにあるのは、単なる個(あるいは独立した存在)同士の繋がりとその広がりである。そこでは、上下関係の中でその「個」に意味を与えるのではなく、「個」自身に意味を付加させなければならない。

 ある学校が、素晴らしい成果をあげたとして、それをどんどん公開すればするほど、その学校の存在意義は薄れる(自己否定)。しかしその道をさらに追求する中にこそ、他とは違う存在意義が生まれる(個の確立)。

 日系人、あるいはガッコのセンセイ(往々にして日本から来られているのだが)は、ネットワークな関係の時代について来れていないのだな、と改めて気付かされた。どうせ日本のガッコなど、個の形成を阻害する方向できたのだから仕方がないといえば仕方がないな、とも思う。

 それから、日系コロニアという言葉を使うことも、これを助長していると思う。コロニアとはつまり植民地であり、地縁の関係。だから、日系人の多く住むサンパウロが日系人の中心地と考える団体や企業も多い。しかし、こと世代を経た「発展性」という視点で見れば、むしろ地方の方が頑張っている。

 ちなみにポルトガル語世代は、意識関係にもとづいた「日系コミュニティー」という言葉を使う。これこそ、ネットワーク世代だといえるだろう。


2004.06.08 追記

 別ルートで情報を得たところによれば、この記事の背景は…どうもJICA側の説明不足にあるようだ。あと、モデル校の勘違いも。つまり、上で書いたモデル校の「ネットワークは上意下達が目的」という勘違いが全く修正できていない。だから地元の日語学校は、JICAとのチャンネル、学校間のチャンネル構築ができていないのだ。てか、モデル校により構築を阻害されているという感じか。JICAと地元校の間を取り持つという部分(エリート意識か?)に存在意義を見出しているんだろうな、モデル校は。

 それならいっそのこと、モデル校なんて抜きにして(もちろん参加は拒まず)、アマゾン日語ネットワークでも作ればどうだろう。あえて日語学校ではなく。つまり、日本語で情報やアイデア、意見の発信と交換を行うネットワーク。もちろん、進出企業も含めて役立つ情報をいれちゃう。日語学校はその一部かつ基幹のひとつ。モデル校なんて、その一部。

 おそらくモデル校は、JICAからサンパウロに召集されても、その成果や報告を地元の学校と分かち合うことなく、後生大事に仕舞っているんだろう。まさに、上下関係(対JICA)と他者との相対関係(対地元日語学校)のみに存在意義を見出し生きる人間(社会)の典型。「自己否定」を否定する態度。転ばぬ先にネットワーク世代に交替せぇよ、と言っておきたい。


2004.06.09 追記

 ついでに私の身の回りの話をすると、ある経済情報誌(と、とりあえずは言っておこう)内部では、次のような「声」が飛び出す。

「色々紹介しすぎるからそのデータを利用されて、派生した仕事(調査のことか?)が来ないんとちゃうか? ○○業界とか、あまり書かないでおこう」

 利用できない情報を売るつもりか? そんな価値のない情報に、調査という付加価値をつけることができるだろうか? いやまったく、自己否定を否定する人たちの考えることは理解に苦しむ(笑)。

つづく

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