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時価とオープンプライス、あるいは続・安けりゃいいのか?

2003年1月8日

サンパウロ在住 美代賢志

 その昔、グルメ番組を見ていて…確か鮨の、マグロのトロだったと思うが…時価という言葉が出てきた。

「兄ちゃん、じかってなんや? いくらのことなん?」

「時価っちゅうのは、その時によって値段が変わるっちゅうことや」

「値段がきまっとらんのか。じゃあ、食べてるうちに値段が変わるんか?」

「阿呆! 滅多に手に入らん珍しいモンはなぁ、その時によって高くなったり安くなったりするんや。食べてるうちに値段が変わったら詐欺やないか!」

「それにしても、値段が決まってないのによう注文できるなぁ。お金が足りんかったらどうするんやろ」

「そんなモンを食うのは、金持ちだけやからエエんや」

 子供心に、なにやら大人の世界の恐ろしさを感じたものである。

 ところで、某社から35mmフィルムサイズの撮像素子を搭載したデジタルカメラが発売された。オープンプライスで、約90万円だそうだ。カメラそのものの話題は(個人的には興味はあるが)おいといて、ここではオープンプライスについて考察してみたい。同社のラインナップ上、これと同じ型のフィルムカメラの売価は、高々(と言って良いのかどうか)25万円程度である。つまり、デジタル部分で65万円のコストが掛かっていることになる。いや、コストに加えて、下駄を履かせていると見る方が正しいだろう。なぜならオープンプライスとは、「将来的に大幅な値崩れ(あるいは値下げ)が予想されることから、定価を設定できない」ことを意味する。数年後、「定価の60%OFF」なんて値札を付けられては、ブランドの威信にもかかわる。

 もちろん、こんなことを書いたのは、この会社を中傷する意図ではない。モノの対価というものを考えるという提案のためだ。

 ブラジルには、ほとんどの物品において定価というものが設定されていない。ひとつの商店を覗いただけでは相場も分からず、ものすごく不便。いや、商店をはしごして比較できる家電などならともかく、衣類などはお手上げ。ショッピングセンターなどでは、問屋街の2倍以上などということもある。もちろん問屋街だって、同じ商品と思いきや、実は良く似た低品質のものということも。同じ商品でも闇、あるいは正規の輸入品という選択肢もあり、市場はまったくもって混乱状態。

 こういう状況のブラジルでは、買い物に審美眼だけでなく、自分の生き方というものが求められる。買おうとしている商品に、それだけの対価を払う価値を見出しているか? もしそうなら、購入した価格よりもはるかに安い店を見つけたところで、後悔はしないだろう。あるいは将来、大幅に値下がりしたところで、それを嘆く必要はない。それは美術品とて同じこと。贋作だろうがホンモノだろうが、それだけの価値をその美術品に見出したのだろう? それとも、ホンモノだという証明書に対して金を払ったのか?

 「国産牛肉」が実は単なる輸入牛肉だというのは最近に始まった事ではなく、それこそ牛肉輸入が自由化された頃から当たり前だった(はずだ)。この嘘がバレるまで消費者の多くは、「この国産牛肉は美味しい!」などと言っていたのじゃないのか? もしそうなら、その味に対して適正な対価を払っていたのではないのか? 15年ほど前だったか、純国産のイメージを売りにしていたワインが、実は輸入ワインとのブレンドだったというニュースもあった。これは、その輸入ワインに毒が混入された可能性があるという外国の報道がきっかけで、バレた。

 私が学生時代にアルバイトで勤めていた焼き鳥屋では、「ロース」と称して「ハラミ」を売っていた。その店には2年ほどいたが、客が苦情を言ってきたことは1度もなかった。当たり前だが、これがブラジルなら苦情の連続だろう。ブラジル人にとってはそれほど、ロースとハラミは味が違う。もちろん、どちらが美味いという話とは別の次元。

 だから時価、あるいはオープンプライスというのは、それだけ自分の価値観や審美眼が試されているのだ。それに加えて、ブランドという束縛を離れることができれば、とも思う。そんな生活は、私自身の問題でもあるが…本当に難しい。ブラジルの露天商ですら、Somyというヘッドフォンを売ったりしている。人間というのはこれほどまでに、ブランド信仰が強いのである。私だって幼い頃、4本線のabidasやらadibasといったシャツを着たものであった。もちろんこれは私が購入したのではなく、母親が勘違いして買ってきたのであったが。この両ブランド(といえるのか?)は同じ頃、ブラジルにも蔓延していたそうである。そうして世界に名だたるメーカーだって、「これを日本に輸出したら、それこそブランドを傷つけるんじゃないか?」というブラジル国内向けモデルがあったりする。車の代表は、私の愛用する「こいつ」。「ライカはどこで製造されたものでもライカ」というのは事実だろうが、だからといって、ライカ以外のすべてのブランドに当てはまる訳ではない。

 ちなみにブラジルでは、「けちんぼ」のことを「(牝)牛の手=mão de vaca」と呼ぶ。金(やモノ)を握り締めるだけで、手のひらを広げて見せることができないからだ。

 写真は、ナタールで購入した民芸品(高さ約80センチ)。結果としては、向こうの言い値の半額以下(55%引き)で購入した。足元を見たわけではなく、これを見た瞬間、この価格なら欲しいと思っただけのこと。途中、私とブラ妻の夕食を挟んだために交渉時間は、1時間を超えてしまった。と言ってもその大半は、売り手であるアーティスト君が考える時間であったのだけど。本来は色鮮やかだったのだが、止せば良いのにブラ妻がテカリを出そうとニスを塗ってしまった。ブラジル人のピカピカ主義にはつくづく、トホホ。

明るくビビッドだったのに…

 ちなみに私は、日本にいた頃から魚模様に弱く、茶碗なんかを衝動買いしていた。それはブラジルでも同じこと。茶碗に小鉢、マグカップ…。以前は、魚模様のデミタスカップも所有していた。ところが、ブラ妻が落としたためにあえなく昇天し、以来、コーヒーを飲む回数がぐっと減ってしまった。安物だったとはいえ、生活スタイルに与える効用は大きかったということか。

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