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祝・戦後移住50周年

2003年7月20日

サンパウロ在住 美代賢志

 戦後移住50周年記念にむけて、関連事業もどんどん増えているようである。まことに喜ばしい。

 ブラジルの日本語新聞の報道はそれなりながら、一連の「戦後移住50周年」は、当地の日本人や日系人の間では全く盛り上がっていない。それもそのはず、今年は戦後移住50周年などではないからだ。事実、戦後移民は、50年以上前にスタートしている。

 では、なぜ今年が戦後移住50周年なのか?

 それは「戦後組織移住50周年」なのである。コチア青年や力行会、農拓協など、組織的な移住が開始されてから50周年なのだ。それが証拠に、戦後移住50周年委員会の顔ぶれには、組織移住者しかいない。

 このおかしさを最初に指摘したのが、やはり田村吾郎氏。そして彼以外には、ほとんど指摘らしい指摘もない。しかしながら邦字新聞記者と話していると、ほとんど全員が全員、「戦後組織移住」を「戦後移住」に書き換えたことの不自然さを指摘する。それほど、言葉とは裏腹に「祭典は名実ともに組織移住だけですよ」という雰囲気がにじみ出ているのである。

 結果的に、かなりの数の個人移住者が、そっぽを向く形になった。もちろん、戦前移民も同様である。戦後の荒廃期、移民たちが救援物資を送ってくるブラジルを、黄金郷と感じた日本人は多い。黄金郷を目指して移住した戦後移民。つまりその礎になったともいえる戦前移民も当然ながら、無視である。いや、戦前移民に横槍を入れさせないために、意図的に組織移住に方向を向けたというのが正解かもしれない。

 ではなぜ、社会の木鐸である新聞は、これを指摘、是正しようとは考えないのであろうか? まぁ、やはり組織移住による数の理論、営業的側面であろうかとは思う。多数派に対して波風を立てることは、広告を直撃する。

 個人的な印象で言わせてもらえば、組織移民にも驚くような人は多いが、なにせ絶対数が多い。一方で個人移住者というのは、絶対数が少ない割には魅力的な人が多いのではなかろうか? 当サイトでも紹介している網野弥太郎さん岡村淳さん宇江木リカルドさんもそうだし、進出企業の社長から一転、ラーメンの世界に飛び込んでブラジルに残られた伊藤武さんだって、個人移住に数えられる。そして皆さん、自分自身を頼りに生きておられる。何しろ、組織移住者のように相互扶助なんて考えられないのだから。

 これからが本番、といった感じの戦後移住50周年記念行事。日本語新聞にはぜひ、戦後移住に至る流れ、源流としての戦前移民史や、各界で活躍される個人移民にもスポットを当てていただきたい。何となれば、現在の日本語新聞を支える若い記者たち自身、個人移民なのだから。数を頼りにブラジルへ来たわけではあるまい?

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